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2児の親もやっている30代の、浮かんでは消える考え事をふんわり書いています。

異邦人生活の心境と自分のリズムを取り戻したはなし

産休中に、同居人の都合で、縁もゆかりもなく、知り合いもいない土地に引っ越して、育児をはじめてから数年になる。

 

引っ越した当初からそれはもういろんな思いを抱えていて、誰かに話を聞いてほしくて友人に話をきいてもらったりもしたのだけど、とにかく心的負担がすごくて、ポジティブでない方面の感情がどんどん膨らんで上塗りされていくものだから、渦中にいる時はうまく表現できないやら、聞いてもらう人への申し訳なさやらで(どう考えても聞いていて楽しかったり、面白かったりする話ではないことが自分でもわかっていたので。それでも聞いてくれた方々には感謝しかない)、自分でも自分の感情がうまく扱えないし表現できないしで困っていた。

 

今は(別の問題はいろいろあるけど)そちらの感情はおさまってきており、文章にすることで頭の中を整理できそうなタイミングなので、これまたお焚き上げすべく、文字に起こしてみることにした。

 

それと、当時、一番自分の気持ちを理解してほしかった配偶者に対して、一番理解してほしい時に、うまく言葉にできず困ったので、自分と似たような境遇にある配偶者を持つ人(自分の転勤のために、住み慣れた土地を離れ、一時的とはいえ配偶者に育児に専念してもらうことにした既婚者)が、配偶者側の苦悩を理解する何らかの助けになればいいな、という願いも込めている。

もちろん意見には個人差があり、私のような感情を抱く人ばかりではないので、心当たりがある人がもしいたら、必ず配偶者の声に耳を傾けるようにしてほしい。大切にしたい相手だから家族になったのだろうと思うので、自分の仕事も忙しいかもしれないけれど、なるべく、でも誠意をもって、配偶者側の心的負担を取り除く努力をしてあげてほしいと思う。

 

 

 

 

当時、絶望、怒り、悲しみ、閉塞感など、いろいろな激重感情が渦巻いていたのだけど、今思えば、いつも根本にあったのは「なぜ自分だけ、自分の感覚を殺し続けて、一方的に我慢し続けなければならないのだろう」という感情だった。

何にといえば、もう全部に。

 

 

 

 

育児(乳児の世話)では、基本的に子の観察をし子の様子に応じて24時間対応し続けることになる。隣で仕事から帰ってきた配偶者が好きにふるまっている間も、自分は眠かろうが具合が悪かろうが子の世話を優先し続けることになるので、常に自分(だけ)は待ちの姿勢かつ自分の感覚(空腹、眠気、疲労、自由に外出できないことへのストレスetc)にふたをして対応し続けなければならない、というしんどさを抱えていた。

 

ただ、出産した以上、育児は引っ越しがあってもなくても対応しなくてはならないことであり、昼夜問わずの育児をすることでしかわからない発見や楽しいこともたくさんあるので、「今日、寝返りがうてるようになったよ」とか、子どもの日々の成長話や自分が気づいたことを誰かと共有できて、「すごいじゃん」とか「それって面白いねー」とか、自分の感情や子の世話に関して大人にリアクションしてもらえる機会が持てれば、孤独に育児をする自分自身も結果的に肯定してもらえるので、多少しんどくなっても、なんとか乗り越えられると実体験から思った。

 

(逆に誰にも話を聞いてもらえなかったり、こちら側の事情を知りもしない相手に育児のやり方を根拠なく一方的に否定されたりなどすると、私に世話をされる当事者=言葉が話せない乳児からの評価が当たり前だけどすぐには得られないために、私はいったい何のためにこんなぎりぎりの状態で夜通し育児してるんだ…?と意味を見失ってしまう場合がある。)

 

ただこちらに関しては、仮に身近に話を聞いてもらえる人がいなかったとしても、妊娠中からお世話になる市役所・区役所の窓口とか児童館とかに行けば、職員も親身になって話を聞いてくれるし(たまにひどい対応をされたという話も見かけたりするけど、その場合もあらためて別の人に話せば誠意をもって対応してくれると思うから、とにかくあきらめないでほしいと思う)、育児に関するプロに直接相談できるようにもしてくれるので、こちら側の悩みなら、引っ越し先でも割と解決策が見つかりそうとは思えた。

 

 

しかし、引っ越しによって激変した生活環境とそれへの違和感については、身近に話せる相手も理解してもらえそうな人もいなかった。というのも、それを話すこと自体、その地域で暮らす人が持つ、地元への愛とか尊敬とか好きの気持ちとか、そういう幸せな気持ちを踏みにじることになってしまう、と思っているから。

 

 

 

引っ越した地域は生活するのには困らないコンパクトシティな地方都市なので、生まれ育った場所から一度も外に出ずに暮らしてきた人や、別の地域から好んでこの地域に移住してきた人が多い土地だった。

それもあって、仕事をしていない状態で育児中に新たに出会うチャンスのある人というのは、地域に根差した暮らしがしたい人/できる人が圧倒的に多く、だから自分が暮らす地域や暮らし方そのものへの違和感・不満を持たない、むしろそれが好ましく、快適に思ってるんだろうなという人が大半だった。それはとてもしあわせな生き方だと思うし、自分もそういう場所が見つかったらいいのかもしれないな、とも思う。

(以前友人に言われてそうだなと思ったのだけど、どうも私はどこにいてもなんとなく浮いてしまう性質があるので、どういう場所なら地に足をつけられる(つけたいと思う)のか、大人になった今も、いまだに具体的なイメージがわかないし、無理にそうする必要もないと思っている。)

 

 

しかし、別の地域から特に望んだわけではない地域に子連れで引っ越した側の理屈でいえば、目に映るもの聞くものすべてが今まで経験してきたことと違い、求められる対応も違うので、従来の住人にとっては良いところも含めて、周辺環境すべてに対して慣れないことから来る違和感は、どうしてもなかったことにはできなかった。

そういう、なんかよくわからないけどしっくりこないなという感覚を抱えたまま、しかし現実問題として生活は回していかないといけないので、ただ生活する(だけの)ために、自分の感覚をひたすら自分が違和感を持つ文化の側に摺り寄せていくという、とにかく辛抱と忍耐のいる感覚調整をし続ける日々を送ることになった。

 

 

 

具体的にあげると、まず、言葉。

東日本から関西に引っ越したので、そもそも日常生活で使う言葉、聞く言葉が標準語ではなくすべて関西弁というのが衝撃で、これだけでも慣れるのにとても時間がかかった。

同じ日本なのに、自分が話せない言葉が日常的に使われる空間に常に身を置かなければならない違和感と緊張感。(ちなみに関西弁を話せない人が関西弁を話そうとして変なイントネーションになったりすると、こちらの意図に関係なく馬鹿にされているととらえられることが多くて、なんだかものすごく空気が悪くなることを関西に来てからはじめて知った。それがわかってから、しばらくの間は不用意に発言しないよう、息をひそめていた。基本的に憎まれたくないし、不和も起こしたくないので)

 

 

仕事をしていたなら、ビジネスの場で標準語でのコミュニケーションに触れる機会もあるのだろうけど、買い物やら子の散歩やら、いわゆる日常生活の場にしか自分の居場所がないので、とにかく聞きなれない言葉にさらされ続ける日々。テレビもラジオも、NHKですらライトな情報番組にはすべて関西弁が混じるので、途中から見聞きする気力をなくしてしまった。

 

関西弁が一般的な地域の理屈でいえば、関西弁が話せない私の方がイレギュラーでマイナーな存在であり、はやく慣れたらいいし、関西弁以外の言葉であっても別に好きに話したらいいじゃん、ということなんだろうと思う。

 

実際に住んでみて、関西は日常生活における会話でのコミュニケーションをより重視する文化があると感じたし(同居人が言っていたけど、街中でチャリに乗ったおっちゃん同士が立ち話してるのを見ると関西に来たなと思うらしい。言われてみれば確かに、男性同士が道端で挨拶するのを見ることはあっても、そこそこの時間をかけて雑談する光景は、関西以外ではあんまり見かけない気がする)、赤ちゃんや子どもの存在に肯定的な考え方を持つ人が多く、多少泣いたり騒いだりしてもあたたかく見守ってくれる文化が自然と根付いている感じもした。(東日本では割と興味関心がない割合が高かった中高生ですら、関西では男女問わず赤ちゃんを見てにこにこする人が多いので、子連れの身からするととてもありがたいしものすごくほっとすると同時に、どうやったらそのように子が育つのか、ちょっと不思議にも思った。子ども好きの割合が高い地域なのかな。)

だから子連れの私が会話するという行為自体に関しては、否定的な空気は周囲にはまったくない。

 

 

しかし私の立場からすると、関西弁の話者同士で話すときに流れる独特の打ち解けた感じが自分にはいっさい出せないしもたらされないしで、誰も悪くないのだけど、関西弁でのコミュニケーションというだけでどうしても自分の中のよそ者感が拭えず、常に孤立している感覚があった。

しまいには、私は私の扱ってきた言葉(標準語)でのコミュニケーションが一方的に禁止されているようにも思えてきてしまい、なんだか自分の言葉=思考自体を否定されているような気持ちになることもあった。あくまで自分の中の感覚の話。

 

 

私も生まれ故郷ではお国言葉を話すし、好きな方言もある。地域固有の言葉遣いが存在すること自体は良いことだと思っているので、関西弁が悪いと言いたいわけではなく、関西において関西弁以外でコミュニケーションしたいと思ったときにそういった手段が自由にとれないというのがつらかったなあ、という話。

これまで住んでいた地域の場合、それぞれのお国言葉はあっても、公共の場というか、スーパーなどの生活の場でつかわれるのはたいてい標準語で(たまに地方独特の方言が混じるくらい)、それさえある程度身につけていれば、コミュニケーションに支障はなく言葉遣いに対する切迫感や孤独感もなかったのだけど、関西の場合は標準語が関西弁で、すぐには獲得できないイントネーションを持つ話し方なので、大人になってから移住することになった人は一体どうしてるんだ…?とも思った。

 

そういえば一度だけ、児童館で、私とまったく同じ境遇にあるお母さんに出会ったことがあった。その人も見るからにしんどそうで、1人でお子さんの世話に追われており、たぶん私と同じ苦しさがあるんだろうなとは思ったけれど、当時は私も子の世話と自分のことで手一杯だったので、交流する余裕が一切なく、そのまま特に何もせず別れたことがあった。あのお母さん元気だろうか。元気だといいな。

 

 

 

次に、これまで暮らしてきた地域との気候の違い。

住んでいる地域はこれまでの場所に比べて、日差しが強いというか日が高く、その分夕暮れもきれいだけど西日がきつい。昼間は冬でもあたたかい日が多いけど、だからなのか朝夜の冷え込みが厳しい。許されるなら日中と朝夜とで服を着替えたいレベル。

また、湿気も極端で、梅雨から夏にかけては湿度80%、冬は逆に30%と、やっぱり差が激しいので、除湿器をしまうタイミングで加湿器を出さないと、乾燥で夜眠れない気候。

 

これまで住んでいたのはどちらかというと北側の海沿いで、日中の気温差も、湿度の差もそこまで大きくなかった。冬の場合ならユニクロヒートテックやタイツがあればある程度自由に洋服が選べたし、日中は冷暖房のある室内で仕事をしていたから、洋服で不便を感じたことはなかった。

しかしこちらでは、朝夜用に着こむと日中暑すぎて汗をかき、逆に日中用に薄手装備でいくと自分が寒がりなこともあり、朝夜の冷えに耐え切れず風邪をひく。生活していくためにはこれまで経験したことのない洋服選びのスキルを身につけなくてはならなくなり、これいいなあと思うデザインの服はこちらの気候に合わないのでほぼ着られなくなった。実際、周辺の店舗で扱う服も好みのものが少ないので、ウィンドウショッピングもいまいちはかどらない。

でもこれは、お店やこの地域のせいではない。私の好きなタイプの服がこの地域の気候にあわないという、ひとえに私側の相性の悪さのせいだ。

 

 

育児をしながら生活する(だけ)なら、汚れても傷ついてもかまわない、ちょっとした山登り用の服装(速乾&保温性を持つアンダーウェアやレギンス、雨にぬれてもすぐ乾くハット、しゃかしゃか系のアウター、降りはじめると20分近くやまない突然のにわか雨でも浸水せず坂道も歩きやすい防水仕様の靴)があればいい。

だから普段の恰好をそういう方向性にあわせるのが一番効率的だというのは頭ではわかっているのだけど、そもそもアウトドア自体にも興味がなくそちら系のファッションを着たいと思うタイミングもないまま生きてきたので、この地域で生活をするためだけに、自分の好きなものを一方的にあきらめて、特に興味が持てない服をなぜあらためて買って常時身につけないといけないのか、自分で自分を納得させる理由がなく、そこでもなんだかもやもやしていた。

(今は、そのあたりはざっくりスルーし、ある程度、体調を崩さない程度に着たい服を着るようにしている。多少不便ではあるのだけど、快適な生活のためだけに常に自分の感性を全捨てする人生はやっぱり違うな、と思ったので。)

 

 

他にも住んでいた地域なら買えた品の取扱いがなくて買えない、触れたい系統の文化が近くにない(ライブやら美術展やら、見たいものはことごとく東日本開催のものばかり)など、好きなものとの距離は遠くなるばかりで、自分がやりたいことほどできない日々となり、周辺でそういうことができる場所をゼロから探そうにも寝不足と体力不足でそれどころではなく(1分でも多く寝たい状況)、とにかく自分の感覚を後回しにして、目の前の生活や周囲の色にあわせるばかりの生活になってしまった。

(どうしてもしんどいときは、子連れで東京に行くか、実家で過ごすようにしていた。過ごす地域が変わるだけでものすごく気分転換できたので、これ以上ここで生活できないと思ったら、いっそ子連れでもいいからちょっと長めの外出か、旅行するのがおすすめ。ある程度年齢が上がれば、他県居住者でも預けられる託児施設のある地域もある。)

 

 

 

そんな中で、仕事とはいえ大人との交流時間が持てて、ある程度自分の裁量(感覚)で物事をあれこれできる時間を持つことができる同居人から「俺のためにもなんかしてくれない?」というようなアクションを取られた日には、

 

「こちらは好きに言葉を発することも装うこともできず、自分の感覚を押し殺しながらやりたいことほど我慢して、ひたすら周辺環境に自分の感覚を合わせ続けるというすさまじい心的調整を常に行っている(そしてそういう状況を作り出した原因の一端は同居人にもある)というのに、その上、そちらにまでさらにチャンネルをあわせて何か奉仕しろと?己に人の心はないのか?」

 

という、同居している私に対する状況把握力と想像力のなさに対する怒りと失望で、言葉を失ってしまう経験をした。あまりの感情に逆に脱力してしまったので、「自分の世話くらい自分でして」と、それはもう猛烈に醒めた気分で、なんとか言葉を返した記憶がある。

いま思うと同居人は関西にゆかりのある人なので、まったくゆかりのない私の感情を想像しろという方が無茶だっただろうなと思っている。でもその当時、私がここまでの思いを言語化して伝えることは体力的にも精神的にも難しかったので、まあもう仕方なかったな、とも思っている。(だからといって私の感情をないがしろにされたという感覚は消しきれないし、当時のすべてを許せるほど私は大人でもないので、いすれなにがしかの機会に、この貸しはまとめて返してもらおうとは思っているが。お互い、持ちつ持たれつの人生のはずなので。)

 

 

 

今はそれから数年経ち、関西弁にも少しだけ慣れたこと(話すのは一生無理だと思うけど)、乳児期が終わり寝不足が解消され、日中の子の預け先も見つかり自分の時間をある程度持てるようになったので、状況が改善されて心身ともにかなり回復した。子が成長した分、要求も多くなったので毎日いろいろとぎりぎりではあるけど、自分のリズムを保てる時間が取れるようになったので、割と前向きに楽しく生きている。自分を守るためには、育児とは別に自分の時間を持つことがとても大事だということを身をもって知った。

 

以上の経験から、自分の感覚がわからなくなったり、ここにいたらだめだなと感じたりしたら、ためらわず、一時的でもいいので別の場所に避難した方がいいと、今も異邦人な私は思う。自分を大事にできない状況では自分以外の他人との共同生活などうまくいくはずがない。根本的な解決にはならないと思われるかもしれないけど、それでも避難して、自分のリズムを取り戻すことを優先した方がいい。何せ先は長いので、ちょっとくらい休んでも罰は当たらないだろうと信じている。