自由で勝手で素直な、愛しいひとたちへ
地元にいた頃の話。
常々、「もう好きにしてほしい、私に構わずおのおの勝手に、自分の実力で生きてくれよ」と、ずっと思っていた。
子供が少ない地域で、経済の輪も地元の商店街で閉じていたから、悪いことは当然、良いことをした人すらも、なんでもかんでも「噂」にして、他人を消費できる娯楽とみなして笑いあう周囲の人たちの価値観が許せなかったし、わからなかった。(月日がたった今も、根本的にはわからないし、わかりたくないし、わかりあえないだろうなと思う。)
何かに一方的にすがる(すがりたがる)人も、よくわからなかった。
どちらも、噂やすがられる側の事情をあえて無視して、自分の痛みやつらさを和らげるために利用しているとしか思えなかった。そういった負の感情を和らげるためにできることは、他人を利用することではなく、自分への投資なのでは?と、ずっと思っていた。
少なくとも私は、そういうものになりたくないと思っていた。
そういうものから身を遠ざけて生きてきた結果、30代半ばの今の私と付き合いを続けてくれている人たちは、全員が全員、自由に勝手にたくましく生きる人ばかりだ。
甘えてくるときには頻繁に連絡がくるくせに、割と人生における大事な連絡のときは後追いで知ることが多く、報告がないのはたまにさびしいなと思うこともあるけれど、じゃあお前は連絡してるのか?と我が身を振り返ると、最近はしていないから、因果応報だなと思うし、それがうれしくもある。
今日も、自由で勝手で素直で素敵なひとたちに、良い一日が訪れますように。