scrawl,

2児の親もやっている30代の、浮かんでは消える考え事をふんわり書いています。

すぐそこの蟻地獄

やっと心に抱えた闇が薄まってきたので、残りの心情をお焚き上げすべく、少し前のことだけど、とある行事の役員になったときの話を書く。

 

一言で言うと、丸投げされたブラック業務を必死でこなす中、さほど気を使わず投げた言葉で人間関係が炎上してしまい、もともと消極的だった子育てにおける新規の友人作りを、本格的にあきらめることになった、という話である。

がんばったらそういう友人作れるのかな、という淡い期待にばっさり踏ん切りをつけられたという意味ではよかったのかもしれない。いやまあ本当はいい感じの距離感が保てるひとが欲しかったんだけどね。いるといいよ、という話はよく聞くし。

しかし覆水盆に返らず、現状を踏まえるともはや望むべくもなく、この土地で、見ず知らずの親御さんと一から関係を構築する自信がすっかりなくなったので、今はもうすっぱりあきらめている。あいさつがかわせたらそれでいいや、くらいの気持ち。

 

 

担当したのはいわゆる夏祭りみたいな行事の企画。

諸事情で何回か中断されていたが、もともと毎年開催されていて、模擬店やらバザーやら催し物やらを出店する形式。すべてチケット制=来場者からお金をいただいて開催する。

役員が数人選ばれて企画内容を決め、当日は会場スタッフ係と一緒に運営を行う、という流れだった。

ちなみに私の役職は会計。くじ引きで決まった。

 

もともと学生時代、かなり真面目にイベント企画するサークルに入っていて、それこそ企画書作りと議論、当日運営と金銭管理、引継ぎ書作成と後任者へのアドバイザー的なことを一通りやっていた経験がある。

だからイベント企画自体は好きだし、この件も最初は割と楽しみにしていて、「当時やってたことも生かせそうだし、そもそも会計業務だけならなんとかなるでしょ~」と、楽観的に考えていた。

 

 

が、しかし。

蓋を開けてみたら、ちょっと言葉が出なくなるくらいの業務量と睡眠時間を削りまくるスケジュールで、文字通り、忙殺された。正直、仕事より大変だった。順番に書く。

 

 

その1 未就学児の育児をしながらゼロから企画書作り&昼夜問わずLINEでやり取り

毎年開催されていたと聞いていたので、ならば毎年何をしていたのか、企画内容の検討資料(○○をやろうという意見に対し、××という事情から実施をあきらめましたとか、そういう経緯がわかる資料)や、運営資料(当日のレイアウト、配置スタッフ数やシフト表、当日の参加人数など)がどこかに丸々残っているに違いない、それをアレンジして使えばいいじゃん、と思っていたのだけど、これがまったく残っていなかった。

 

どうやら毎年必ず、過去の企画経験者が関わるようになっていたので、ノウハウは口伝だったらしい。吟遊詩人的なスタイル。

過去は過去でいろんな事情があったようなので、やむなく保管できなかったんだろうなあとも感じるものの、神話とか唄とか1回きりの行事とかならいいと思うけど、毎年やる行事の段取り関係は、資料を残しておかないと後任の人がいろいろな意味で死ぬ。

 

徹底的に調べたら、会計資料の一部としてかろうじて残っている手書き資料があったので、のちのち参考にすることはできたけど、企画書を出す最初のタイミングでは見つからず、そのため企画を考えるにあたっての会場設営ルールとかの前提条件がまったくわからなかった。

 

ということで、ゼロから企画内容、運営ルールやら人員配置やら導線やら全部考えて会議に提出、「そこはガムテ貼れないからその催し物自体無理かも」というのを会議当日にはじめて知らされて、家族が寝てから深夜2時まで練ったアイディアが一瞬で白紙になる、というようなことを経験した。

あっはっは。もはや笑い飛ばすしかない。

 

ちなみに他の役員はパソコンを使ったことがなく、イベント企画も今回が初めてっぽい雰囲気があり、「何から手をつけたらいいのかわからない」状態(でも締め切りが毎回タイト)なので、私が原案を作りLINEにひたすら打ち込んでは相手から返信をもらい、手を付けられそうな簡単な作業から少しずつ仕事を割り振っていき企画業務に慣れてもらう、というのを、未就学児を自宅保育しながら数ヶ月やっていた。

 

対面だと私が子連れでしか会えないので、まともに話し合いができないから、LINEしか共有手段がなかった。

ゼロから企画書を作り、認識を共有するためのやりとりなので、どうしても長文になり、私も他の役員も、朝から晩までLINEやり取りすることになった。

 

知ってた?文字数多い投稿は、LINEだと別画面表示じゃないと全文読めなくなるんだよ!

私はこの業務ではじめて知りました!

たぶん知らない方が幸せな世界!

 

ちなみに、時流に沿う形で全体のスタッフ数が目に見えて減っているため、過去のやり方をそのまま踏襲すると人手の観点でパンクすると当初から思っていた。

 

実際に、当時のスタッフ予定者数と当日の役割分担から簡単な人員配置案をつくったらあきらかに人手が足りなかったので、案を見せて「私たちの企画、すでに人不足なんですけど、みなさんシフトどうされる感じですか?」と他の役員に聞いたりもしたけど、なんかいまいち伝わらなかった。

 

なんで企画の具体案を提案する前からスタッフ数の話を?それまだ先の話では?みたいな空気。

だから回答もふわふわで、最終的に誰かヘルプに回すようにするから大丈夫、とか、そんな励ましがきて終わりという感じだった。

 

そんな感じでいまいち周囲の人に危機感が伝わらなかったものの、これは当初から人手いらずの企画を入れないと詰むと思ったので、そういう企画を新規でつくって提案して既存の企画数を減らしたり、シフト表の枠組みを考えたりもした。(後々、危惧していた通りスタッフ数が不足したので、空気に流されずに、少しでもスタッフ数を減らす提案をしておいてよかったな、とは思った。)

 

…というような仕事を、保育園に子を預けずにやっていた。日中は家に子がいて作業は無理なので、家事などもろもろ終わってからの深夜にしか作業できない日々を送ることになり、保育園システムのありがたさを痛感した。夜の睡眠時間を削ってしか作業できないのは本当につらい。

 

 

その2 4企画の会計を1人で回す過酷さ

本業は会計なので、「過去の参加者は何人くらいで、今年の参加者はどのくらいの見込みなんですか?それにより予算も支出も変わるので教えて」と会議で聞いてみたら、誰も知らなかった。そのかわり、赤字にならないチケット代の案を複数、1か月以内に会議に出して、みたいな話になった。

 

 

…なるほどどういうこと?(黒目)

 

 

補足すると、私が担当した年から行事の主催者が変更になったこと、収支関係の書類は企画別での管理になっていて、企画ごとに赤字か黒字か、何人参加したかを把握する方式だったために、全体で何人来たのか、収支はどうだったのかみたいなことはあまり重視されていなかった模様。

(一応平成に入ってからの資料だったんだけど、全部手書きだったから、なんかもういろいろ大変だったんだろうな、というのはうすうす感じた。)

結果、私が担当した年は、行事自体への参加の経験はあっても、人数とか金額とかの数字に関しては、みんなすぐにはわからないし見込み数もない、という状態だった。

 

…とりあえず現状はわかった。

わかったのだけど、参加者数の見込みをいい加減にやるとその時点で確実に赤字になってしまうので、なるべく実態に近い来場者数の見込みが、どう考えても必要。

 

結局、過去の会計資料を数年分見て、企画別にチケット売り上げ枚数を確認、Excelに転記して平均値を出し、今回の仕入れ予定の品目・単価・仕入れ数とにらめっこしつつ、おつりもなるべく出ない金額で、みたいなバランスを探り探りして、なんとなくいい感じにおさまる案をExcel使って3案、4企画分出した。

 

ちなみに1企画あたりの来場者平均が、だいたい300~400人。

この行事、すごく親しまれてるんだなあと思ったけど、未就学児を自宅保育してる=作業できるのが深夜しかない人がやる仕事量じゃない、と思った。

というか、Excel使えない人がやることになってたら、誰がどうフォローするつもりだったんだろう。手作業集計…?この作業量を…???

 

結局、仕入れ先の検討(過去、どこに発注したかの記録がなかったので一から探した)、発注品目と発注数の確定(不良品率を見越して余分に発注数を算出する、とかいうややこしい作業込み)、行事終了後の不良品数の実数確認など、はじめから終わりまで締め切りがことごとくタイトだったために、最終的にすべて1人で真夜中に計算・発注・確認することになり、なんというか緊張と消耗がすごかった。

 

家族が寝てから、企画書作って会計作業やって、終わったー!と時計を見れば午前3時。結果をLINEで連絡、2時間仮眠したら子の朝の支度&会議出席、という生活リズム。

あまりにも作業が終わらないので、企画が動き出してから終わるまで、1ヶ月に平均5日は徹夜していた。

 

うーん、企画って、こんなに命がけでやるものだったっけ?と何度か思ったけど、周囲に手が空いている人は皆無、その割に追加作業だけがどんどん積みあがっていくというあまりの逆境っぷりに、もちろん心は荒んでいったのだけど、途中から逆に面白くもなってきて、「毒を食らわば皿まで」「今に見てろ未来…!」と、よくわからないやる気、気力、仮眠、ブラックコーヒーでなんとか作業を進めた。

仕事なので、ひたすら手を動かし続ければいつかは終わるという真理。頼れるものがない中、未来の自分を支えてくれるのは、いつだって過去と今の自分の頑張りだけである。

 

 

 

その3 最後の最後にひとり炎上

しかしそんな無茶が長く続くはずもなく、企画が固まったくらいのタイミングで業務量的に私がパンク。そのころには何をどうするか、かなり具体的に整理できていたため、仕切り全般を別の方にお願いし、私は本業の会計にしぼって対応する体制に変更してもらったりして、なんだかんだ迎えた行事当日。

 

全方面に向けて最後までくまなく準備したのもあり、結果として、行事自体はとてもうまくいった。

自分で言うのもなんだけど(しかし自分しか言える人がいないので厚顔無恥を承知で書く)、数人で企画案をつくったとは思えない出来だった。

あきらめない気持ち、大事。

参加者も役員も当日スタッフもみんな楽しそうだったし、本業の会計もミスなくよい感じの黒字で終わったしで、ああ本当によかったな、と思った。

 

 

 

 

…私の人間関係以外は(黒目)

 

 

 

 

端的に言うと、寝不足状態で返した私の言葉が一部で炎上してしまい、いろんな人に間に入ってもらったものの、収拾がつかなくなってしまったのだった。

見る人が見れば気になるけど、気にならない人は気にならない、そんな感じの微妙な言葉だった。弁解して謝罪されたら、仕方ないから許すよ、と言ってくれる人の方が多いと思うのだけど、いろんな事情で、今回はそういうことにならなかった。

 

私には私の言い分があり、なんとなく察してくれる関係者もいたけど、みんな遠巻きに見ていて、表立って味方になってくれた人はいなかった。

(住んでいる土地柄がとても影響している気がするけど、あらゆる方面に角が立たないよう、誰にも見えないところからフォローしてくれる人はいた。

それだけでもありがたいし、ありがたいと思わないといけない話なんだろうな、と大人の私は思うけど、別の私は、新参者を受け入れることよりも内輪での保身が大事なんだなとどうしても感じてしまって、そういう生き方もありだとは思うけど、自分もそうしろと言われると、つい醒めた目で見てしまうところがある。

人生観というか、生き方の違いで、私のようなイレギュラーなひとを認めてしまうとそれだけで生きづらくなってしまうコミュニティなんだろう、とも感じた。そういう場所に身を置きたいかどうかは、人によると思う。)

 

個人的な感情は置いておくとしても、結果としていろんな人に心配や迷惑をかけたのは事実なので、その点は反省していて、どうしたらよかったのかな、というのを自分なりに考えてはみたのだけど、関係の方には本当に申し訳ないのだけど、防ぎようがなかったな、という結論に達した。

きっと、私じゃなくて別の人が同じ言葉を発信していたとしたら、炎上していなかったんだろうな、というのも想像できてしまって、ああそういうことならもういろいろと関わるのは無理だな、と思ってしまった。

 

そもそも、数か月にわたり未就学児の育児しながら寝不足状態で必死に企画業務をやってる極限の心身状態の人に対して、コミュニケーション上の失敗を一切許さない、という相手と、そちらを優先して擁護する集団の中では、たとえ自分が万全の状態だったとしても、私の性格上、所属することを許されても息苦しくて生きていけないな、と思ってしまった。

 

 

 

というわけで、それ以降、行事とも、関係者とも、距離を置くことにした。

あいさつはするけど、自分から話しかけにいくことはないし、向こうも関わらない。この件とつながりうる人とのSNSも一律やめた。どこで何に飛び火するかわからないから。

寂しい気持ちもあるけれど、海水魚が淡水で生活できないように、いわゆる住む世界が違う上、お互いにお互いの存在すら許容できない大人の関係というのは確かに存在していて、そうなってしまったら、もう関わりを断つしか方法がない。

 

この行事は今後も続く見込みで、役員になることはなくても、当日スタッフとして仕事をお願いされる可能性はあるらしい。とすれば、今後の行事の運営にいろいろと支障が出そうと思ったので、終了後、主催者には正直にこのトラブルについて話した。

主催者からは超高負荷作業に関しての謝罪と、これ以降はこういうトラブルがないようなやり方にする、元気だしてね、というようなことを言われた。主催者側が中立の立場でいてくれたことはちょっとだけ救いかもしれない。

 

 

というわけで、解決の目途は一向にたたず、実際、傷も完全には癒えてはいないのだけど、文章にしたらだいぶ自分の考えが整理できたので、これでいったんおしまいにする。

 

ちなみに私が提案した人手いらずの企画案は、その後も採用されているよう。

少なくともこの行事に関わる未来の人たちの負担を減らす仕事はできたみたいだから、それは素直にうれしいし、あの時全力でやってよかったな、と、ひとり思っている。